オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST


佳作 国内部門 成人の部
「雲の向こうにある光」
静岡県 片岡 亮太(35歳・男性)
皆さんは「冷たい視線」や「奇異の目」を向けられたことがありますか?弱視で生まれ、十歳で全盲になった僕は、幼少期から、そのような経験が多かったように思います。失明を機に小学五年で転向した地元の盲学校には、近隣の学校の子供たちと交流と称して触れ合う時間がありました。当初僕はその時間が嫌いでした。お互いの学校を行き来して、一緒に授業をしたり行事を行なったり…。そのような時、一挙手一投足をじろじろ見られているような気がし、盲学校の人たちのことを知ることができたと感想を言われることが嫌だったからです。視力を失ってまだ日が浅く、障害を受け止めきれていなかったために過剰反応していたのかもしれないし、約二十五年前の日本では今以上に、障害者の存在が一般的ではなかったことの影響もあったのだと思いますが、交流の間、僕は片岡亮太ではなく、「同世代の視覚障害者」という、札をぶら下げられたマスコットか何かになってしまったようで、居心地が悪く、窮屈でした。ある時、誰かの冗談に笑っていると、「あっ、笑えるんだ」そんな声が聞こえてきたこともあります。今思うと、その発言をした子にとっては、僕も自分たちと同じように笑えることが、新鮮な発見だったのかもしれませんが、それくらい別の存在だと思われていたことに愕然としました。つい一年前までは、僕も一般の小学校に通っていたのに、失明を境に住む世界が変わってしまったようでした。
さらに衝撃的だったのは、当時の同級生と一緒に修学旅行や校外学習に出かけた時のこと。クラスメイトは4人。そのうちの3人が視覚障害と重度の知的障害を重複していました。彼らと電車に乗ったり公共の施設を利用すると、周囲の空気がぴんと張り詰めたことをよく覚えています。友人たちは、いわゆる会話と呼べる言葉のやり取りが困難で、突発的に自分の気持ちや要求を口にしたり、麻痺のある口でたどたどしく話したり、言葉にならない声で喜怒哀楽を表現しながら手足をプラプラさせるなど、「一般的」とは言いづらい言動をしていました。転向当初、僕も彼らの存在に戸惑い、友達と思うことすら容易ではありませんでした。けれど時間をかけ、大切な友と思えるようになってからは、緊張した視線と、警戒し、暴れないだろうかといぶかしむような空気を一緒に受け止める度、悔しく腹立たしい思いをしました。僕ならば、言葉や行動を通じて、障害はあっても、自分たちと変わらない存在であると感じてもらうことができるのに、友人たちは、彼らなりの手段で語り、思いを発信し続けているにもかかわらず、それらを受け止め理解できる人が少ないというだけの理由で、誤解され、勝手に哀れまれたり、危険視される。
これらの経験をきっかけに社会福祉を学び、広く思いを伝えていくため、プロの音楽家として舞台に立ち、演奏と共に言葉を伝えていく活動を選んだ僕にとって、あの頃の日々は決して忘れられない大事な原点です。その人が誰であるか、どんな背景で育ち、どんな文脈の中で行動しているのかをすべて無視し、「障害者Aさん」のように、一つの記号にしてしまうこと、それが「差別」と「偏見」ではないでしょうか。今年、新型コロナウイルスの感染拡大への不安が高まり、多くの人が緊張を強いられ出して以降、僕や僕の友人たちが感じてきた、人の視線が持つ圧力によって、肩身の狭い思いをした人がたくさんいるのではないかと思います。例えば、長年日本で暮らしている外国籍の方、あるいは花粉症をはじめ、咳や鼻水の症状を持っている人、そして実際にウイルスに感染された方やそのご家族などが、批難を浴びたり迷惑そうな目を向けられたり、ライブハウスでのクラスター感染の発生がきっかけで、楽器を持っているだけで遠巻きにされたり…。これらの出来事はもちろん悲しいことではありますが、僕はこの現状を、大きなチャンスにすることだってできるのではないかと考えています。自転車に乗ったことのない人にとって自転車の楽しさを想像することが困難なように、「差別」や「偏見」がもたらす息苦しさや孤独感を、理解することもまた、難しいことだと思います。けれど僕たちは類似する経験を持っていさえすればそこから想像力を膨らませ、誰かを思いやることができる。僕も含め、時として被差別的な立場に追いやられてしまう人たちが、いつの間にか軽く受け流せてしまえるようになるほどに日常化した、人の目と意識が与える痛み。多くの人がその理不尽さを体験する可能性のある現在は、もしかしたら、思いやりと共感を学べるきっかけにだってなるのかもしれません。そして、その経験を活かせた時、社会は今よりも、温もりのある、寛容なまなざしに溢れるのではないでしょうか。暗雲立ち込める状況から光を掴み取る。そういうしなやかさと強さを、誰もが持っている。僕はそう信じます。