オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

サポートの部 佳作 国内部門 「笑顔の輪」
愛知県  小松崎 潤(36歳・男性)

『ただ聞くこと。それが相手の心を開く鍵なのです』

 夜十時。今日も枕元で妻に読み聞かせをする。僕の日課のひとつ。妻は中途失明してから文字を読むのも僕の手を借りる。最近はミリオンセラーになった『聞く力』がお気に入り。だがこの本。要所要所僕に対する忠告みたいな言葉があり、時に胸に突き刺さる。

 『わかるわかるという言葉は時に傲慢と受け取られます』

 確かにそうだ。最近も「私一人じゃ買い物にも行けないし、電車にも乗れない」と言う妻に「わかるよ」と言って怒らせてしまった。専業主婦の妻は基本的に日中はひとり。失明してから付き合いが億劫になり、友人と連絡を取り合うこともなくなった。妻は時に友人と自分を比べ卑屈になった。一人でいれば孤独感。誰かといれば劣等感に苛まれる。だから僕は家の中では決して外の話をしないようにした。それが妻に対する礼儀であり、やさしさだと思った。

 ちょうど年の瀬で年賀状を印刷していた時だった。

 「私も書きたい」

 妻が顔を出した。

 「あ、じゃあ僕が書くから何て書くか教えてよ」

 妻はムッとした。その表情に僕は学んだ。僕は妻の心に耳を傾けていないこと。妻は自分で書きたいのだ。自分の力で、自分の言葉で。

 そんな時ユーチューブで点字年賀状の作成方法というものを発見した。妻も「これがいい」と興奮気味に言った。

 こうしてはじめることになった年賀状づくり。しかし点字筆記用具を購入したものの、その道のりは前途多難。無地の年賀葉書は普通の点字用紙より厚く、かなり力を要した。

 「僕がやろうか」

 「いい!自分でやる!」

 それはまるで自我の芽生えた子どものようだった。だけどその眼差しは熱かった。

 点字は墨字と違って縦三点横二列の六点の組み合わせによって意味を為す。一点打つだけでも大変なこと。それなのに「あけましておめでとーございます」と打つとなると五十六個も打たなければならない。もちろん肩も凝るし、三枚作り終えた時点で手は腱鞘炎になりかけた。それでも妻は続けた。一枚ずつ、一点ずつ、一文字ずつ。そこには失明に負けない強い意思があった。その眼差しに「やめろよ」なんてとても言えなかった。「やろうか」とも言えなかった。緊張で強ばった妻の手をほぐしたり、肩を揉むことしかできなかった。

 「ねえ、あなた。ここに点訳を書いてよ。だって皆点字が読めるとも限らないし」

 僕はサインペンで点字の上から「あけましておめでとーございます」と書いた。

 しかし、である。点の上では文字はガタガタ。まるで震えた手で書いたような字になってしまった。

 「うわあ!しまった。なんかヘビみたいな字になっちゃったよ。ああ、ごめん。先に書いておけばよかったね」

 僕は妻に頭を下げた。しかし妻は怒るどころか大笑いした。まるでガタガタした僕の字が見えているみたいだった。その笑顔に僕は救われた。

 こうして僕らは年明けから、週一回点字教室に通うようになった。正直ペンで書いた方が早いし、パソコンを使えばもっと簡単にできる。だけど点字には点字の、墨字には墨字の良さが、確かにある。点字を介する人と人のつながりは、やはりここでしか味わえない。

 今も僕は妻に対してどう接したらいいかよく悩んでいる。問いを投げる日もあれば、答えを探す日もある。だけどこの教室で妻は友達ができた。僕にも相談できる仲間ができた。いま、僕らの笑顔は点字の輪の中で咲いている。

 妻は気づかせてくれた。努力の点でつないだ線は必ず笑顔の輪になるんだって。