オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST


アジア・太平洋地域 シニア・グループ 佳作
「私の人生を変えた作家、史鉄生(Shi Tiesheng)」
中国 テン・ウェイ・ミン(66歳・男性)
中国の障害者の作家の中で、私は史鉄生氏を一番称賛している。彼は、私の道しるべであり、輝かしい人物であり、彼の作品は、かつて私の心の闇を払拭してくれた。
私は仕事を始めて10年目に網膜症になり、そのせいで仕事を辞めなければならなかった。私は志を持った医者として、病気を治し、命を救う仕事に、満足していた。しかし、網膜症によって絶望的な患者となってしまった。かつては、意志が強く明るい自由人で、世界中を旅して、壮大な景色を見てみたいと思っていた。しかし、視力を失って、暗闇に落ちていく以外、どこにも行くことができなくなった。目が見えなくなってすぐのころは、杖を使って手探りで移動するしかなく、いつも頭やひざをぶつけてばかりいた。しかし、内面の苦しみに比べたら、体の痛みは、話すまでもないほどささいなことだった。
視力とともに私が失ったものは、温和な性格だった。母が漢方薬を持ってきてくれても、そんな苦い薬をどんなに飲んだって、私の目は良くなるわけはないと思い、何度もその器ごと叩き割ってしまった。家計の状況が悪化していることの辛さから、食事の時に両親が別の医者や他の治療はないか、という話を始めると、私はいらいらして、箸を折ってしまったことも一度ではなかった。そんな時、母は、割れた器のかけらや折れた箸を拾い集め、怒るどころか私を慰めてくれた。一方で父は、黙ったまま、私の目が見えなくなってから白髪になったことも、私には一切話さなかった。
心を癒す一番の薬は時間だ。辛い日々はゆっくりと、でも確実に過ぎ去っていった。数年が経ち、私は絶望の淵から抜け出し、作家活動を始めた。偶然、中国で一番有名な障害者の作家、史鉄生氏と知り合うことができた。以前から、ラジオで彼の作品を聞いていたが、ある出会いから友人になれたことは、私にとって驚きだった。何度か会って話をしてから、ある日、お互いの障害の原因に話題が及んだ。そして私は、目が見えなくなってから、両親にしてしまったことを話した。すると、彼はこう言った。「お母さんにわがままになってはいけないよ。自分の苦しみは、お母さんにとっては2倍の苦しみなのだから」と。彼は若いころに体が麻痺し、彼も当時は怒り、途方に暮れ、やり場のない憤りでいっぱいになったそうだ。ようやく、母親にどれほどの苦悩を与えてしまっていたかに気づいたのは、母親が亡くなった後だった。彼は、ゆっくり、しっかり、私を見つめながらこう言った。「私の場合は、気づくのが遅すぎた。あなたにはそうなってほしくないのだよ」と。その時、私ははっと目が覚めたのだ。取り乱したまま、私はこう言った。「私の母は、まだ私と一緒に住んでいます。まだ間に合います!」
私は急いで家に帰った。そして、母の手を握った。その手は、かつてのあたたかくしっかりした手ではなく、がさがさで冷たかった。いろいろな気持ちが重なって、私の心は複雑だった。すると、母はその手で私の手を取り、病院に連れて行き、医師にこう懇願してくれたのだ。「私の目を取り出して、この子につけてください。どうかお願いします!私はもう年老いていますから、目が見えなくてもたいしたことではないんです。でも、この子はまだこんなに若い。たくさんやることがあるのです。だから目が必要なんです!」と。すると医師は「眼球を取り換えればすむことではないのですよ。あなたの目を息子さんにあげても、見えるようにはならないのです」と、答えた。母は大泣きし、絶望し、私を哀れんだ。私は、その時の光景を今でも覚えている。人の病や死とも身近な立場なはずの医師が、心から感動してこう言ったのだ。「これほどまでに、母親は子どもを愛するのですね。母の愛ほど偉大なものはないと心から思いますよ」と。その場にいた他の人達も皆、感動していた。
その後、私は、中国聴覚視覚障害者協会という団体で働くことになった。他の職員とともに、同じように辛い経験をした障害者のために働いた。史鉄生氏とはその後も数回お会いして、母のことを話したこともあった。私は、彼から3冊の著書をいただいた。その本には、彼の母が親切で優しく、困難にめげず、他の何よりも息子を愛していたことが、書かれていた。そして、「一番苦しむのは、障害を負った本人ではなく、その母親ですよ」と、話していた。
時は流れた。目を閉じて、これまでのことを思い返してみると、私のこれまでの人生に、深く印象を残した人が大勢いる。特に史鉄生氏は、文学の創作ということだけでなく、生きる姿勢にも多大な影響を与えてくれ、今でも彼のことをよく思い出す。母を思いやり、運命に立ち向かい、責任感を持ち、社会に貢献する人になれたのは、彼のおかげだ。
以上が、私が史鉄生氏について、皆さんにお伝えしたいことである。