オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

アジア・太平洋地域 シニア・グループ 佳作 「私にとっての音楽の役割と意味-私の人生を照らす情熱」
インドネシア  ヘンドラ・ジャトミカ・ プリスティワ(45歳・男性)

 私は生まれつき目が見えなかった。子供のころ、周りの人達は、私がどう生きていき、将来どうなるのかを心配していた。

 彼らには盲人についての知識が乏しかったことから、私の将来は私の視力のように真っ暗なのではないかと、とても案じたのだ。

 しかし、私にとっては、人生を諦めている時間はなかった。ゆっくりとではあったが、人生を照らしてくれる光を見つけ、それは周りの人達をも照らすこととなった。私にとっての光は音楽だ。私は幼少の時から音楽と出会っていた。7歳の時に、叔父からもらったギターが、私が最初に弾いた楽器だった。音楽は耳から独学で学んだ。当時、私は普通の小学校に通っていたので、点字についてはあまり知らなかった。

 そして、中学校からは特別支援学校で学んだ。その時から、楽譜も点字で学び始めた。点字の楽譜はとても役に立った。というのは、聞いたメロディーを、点字の楽譜に、書き取っておくことができたからだ。カセットに比べて、点字楽譜は、最も簡単かつ効率的に、楽譜を学ぶことができた。当時はまだ、デジタルのメディアがなかった。デジタルの録音技術ができる前に、私は点字の楽譜を習得した。

 高校生になると、私の音楽のスキルは、他の同年代の人たちよりも上達した。そして、SMK Vokal(という音楽職業訓練学校)に進んで、音楽の知識とスキルを学び続けることが、正しい進路だと考えた。点字の楽譜に関しても、さらに理解を深め、音程、拍子を含め、多くの音楽理論を学び実力をつけたことで、健常者の音楽関係者と同レベルのスキルを習得した。そこで、思い切っていくつかの学校で音楽と合唱を教え始め、収入を得ることができるようになった。また、自分で作曲した簡単な曲を、点字の楽譜に譜面化することや、楽譜がより複雑なピアノも習い始めた。音楽こそが人生の光だと初めて感じた。

 その後、バンドンIKIP(指導訓練及び教授法学院)で、音楽教育を専攻してさらに学び続けたのだが、そこでは視覚障害者の学生は私だけだった。そこで学士を修了して間もなく、録音技術はアナログからデジタルへと変わった。そのせいで、一時は挫折感を感じた。もう音楽の仕事はできなくなるだろうと思ったこともあった。しかし、心の底では音楽への情熱は持ち続けていたので、コンピューターの、スクリーンリーダーとデジタル録音を習得することを目指し、必要な機材も購入した。そして、徐々にそれらを使いこなし、音楽の編曲、声楽や楽器の録音、さらには自分でミキシングまでできるようになった。そして、デジタル音楽録音を生計のための職業にすると決めた。プロの編曲家として、自宅にスタジオを作り、機材も増やした。他の視覚障害者にデジタル音楽録音を教えることも始めた。視覚障害者というより、常にプロの音楽家らしくふるまった。そのため、一般の人たちだけでなく、プロの仕事仲間達にも、視覚障害はあるが、才能ある音楽家として知られるようになった。つまり、編曲に関しては、健常者の音楽家と同等の成功を収めた。その例としては、インドネシアで有名な複数の歌手の編曲を任され、コマーシャルソングを製品や団地、企業、政府機関のために作り、Erwin Gutawa氏のスタジオで、Perulia Malaysiaの宣伝のための、弦楽器パートの楽譜作りと指揮を行った。さらに、マレーシアやタイのミュージシャンの編曲や、パジャジャラン大学産婦人科の学生や西ジャワ州政府の公文書図書館で、合唱指導を行った。ここ数年は、私のホームページを見た個人から、編曲や譜面制作を依頼されたこともある。

 編曲家として仕事をしながらも、例えば合奏や合唱団の指導をする時などは、点字の楽譜を今も使っている。点字の楽譜を知れば知るほど、楽譜が横書きであることから数字記譜法(numerical notation)との類似点が多いことがわかる。これは縦書きが可能な、連桁記譜法(beam notation)とは異なる。点字で、とても多くのパートからなる曲やオーケストラ用の楽譜を書くことは難しい。しかし、この限界に対して、私はより創造的に考えた。楽器の種類をもとにその楽譜をいくつかのパートに分けて書くのだ。例えば、バイオリン、チェロ、管楽器といった分け方だ。なので、基本的にその分け方がわかれば、点字の楽譜を使うことができる。実用的ではないかもしれないが、私はこれで大丈夫だ。合奏や合唱団の指導の時、デジタルメディアより、点字の楽譜のほうが使いやすい。というのは、デジタルメディアは点字を読むのとは違い、脳に直接入ってこないのだ。

 点字と音楽は、私の人生に欠かせないものである。点字の楽譜の知識を持ち、音楽の指導ができたことで、私はプロの音楽家になれた。それは、私の聴覚のおかげだけでなく、音楽や楽譜の理論を習得したことによる。音楽と点字への私の思いから、私はずっと、点字の楽譜の紹介と開発プログラムをサポートしている。例えば、インドネシアアビヨソの点字出版ハウス、現在のインドネシアアビヨソの点字リテラシーハウスで、専門家として、点字に翻訳する時に、連桁記譜法から点字の楽譜への変換の助言をしていたことがある。私の知る限り、インドネシア教育大学でも、視覚障害者の学生のための点字の利用効果を調査しているはずだ。視覚障害を持つ学生を指導する音楽教師のだれもが、主要な教育メディアとして点字の楽譜を使い続けてほしいと思っている。音楽を聴けば、(聴覚的にのみだが)早く音楽を知ることができる。しかし、点字の楽譜からは、(聴覚的だけでなく、理論的にも)音にこめられた理論をより早く理解することができる。音楽が常に生きる力の源となり、私の人生、そしていかなる状況にあるすべての人たちをも照らす光であり続けるよう、願っている。