オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

ジュニア・グループ 佳作 西アジア・中央アジア・中東地域 「夢を実現するには」
タジキスタン  ライロ・サイドワ(24歳・女性)

 この世に生を受けた人は皆、心の中にいくつもの夢を持っており、生きている間にそれを成就しようと、一生懸命に努力します。最近は、医者や教師、弁護士などになって国のために尽くしたいと思う人がたくさんいます。また、一つの夢が実現できなかったために意気消沈してしまって、他の夢を実現するための努力をやめてしまう人もいます。私はそれには同意できません。不可能なことなどないのですから、そういう人も強い意志をもって、夢が実現するまで頑張らなければなりません。「私はできる」という言葉もあります。

 夢の世界には限りがありません。夢は、大空を自由に飛び回るツバメのようなもので、時には、私たちを伝説の世界に連れていってくれます。小さい時、私にはたくさんの夢がありました。夢の中で、月にいたことも、太陽の近くにいたこともあります。私にとって、人生は美しく、素晴らしいものでした。大切な夢の一つは、医者になって、健康になるためにやってくる人々を助けることでした。彼らが家族と一緒に残りの人生を幸せに暮らせるよう、私は喜んで助けの手を差し伸べるのです。時々、漫画や民話の主人公のように、強く頼りがいのある人間になって、助けを求める人々を助けている自分を想像することもありました。しかし、当時の私は、目が見えないので、その夢は実現不可能だということに気づいていませんでした。それに気づいてからの私は、絶望的になり、他の夢を実現するために努力しようと思わなくなりました。私は、他の子どもたちと同じように、学校に行って、読み書きを学びたかったのです。 

 そうしてやっと、両親が視覚障害者のための学校を見つけ、そこでは点字のアルファベットを使った教育が行われていることがわかりました。そこで、私は、視覚障害のある子どもたちのための特別な学校であるその学校で、学び始めました。読むことや生活に必要な様々な技能を教わることができたので、私は学校が気に入りました。先生たちは皆、教えるのが上手でしたが、特に1人の先生の授業がとても好きでした。その先生はとても賢くて、親切で、忍耐強く、率直だったので、私も教師になりたいと思いました。その後、私は教師になって、障害のある子どもたちを教えようと思うようになりました。

 学校の友人たちは、私よりも年上でしたが、やはり色々な夢を持っていました。友人の1人は、その学校を終えてから、大学を卒業し、今は自分が通った学校の英語教師として働いています。彼は、障害があるにも拘わらず、スキーも上手になりました。実現可能な夢を成就したので、彼はとても幸せだと思います。一生懸命に頑張って、夢が実現するまであきらめない、彼のような人はいるのです。彼の存在に刺激を受けて、私も自分の夢の実現のために最善を尽くそうと思っています。

 さまざまな国の障害者が皆、同じ事情やチャンスを持っているわけではなく、また、夢の実現には、その国の政治や社会、経済の状況が関わってくるので、全員が夢を実現できるわけではないことが知られています。ある国の障害者に開かれた機会を、別な国の障害者と比べてみればわかることです。タジキスタンに住む私たち障害者は、政府や教育科学省が取り組みを行ったり、承認を与えたりする際の検討に参加することができるので、嬉しく思っています。障害者のための特別プログラムが策定され、それによって、私たちは勉強して、知識を身に付け、実現可能な夢を達成して、なりたいものになるチャンスを与えられています。そうして、社会に尽くし、国の発展に貢献することもできるようになります。

 デンゼル・ワシントンは「結局大切なのは、何を持っているかとか、何を成し遂げたかではなく、誰を励ましたか、誰を向上させたかです。何を社会に還元したかなのです」と言っていますが、誰であれ、どんな能力があろうとも、世の中のために何か有益なことをし、社会の発展に少なからず貢献して、他人を助けなければなりません。そして、一番重要なのは、決して諦めずに、意義ある実現可能な夢を、他の人が成就するのを応援することです。