オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

アジア・太平洋地域 ジュニア・グループ 優秀賞 「音楽の世界に視覚障害は存在しない」
中国  ツァオ・ホウレン(15歳・男性)

以下は世界の著名な音楽家の一例です。中国の民族音楽家、スン・ウェイミン、台湾出身のポップシンガー、リッキー・シャオ、著名なアフリカ系アメリカ人ピアニスト、レイ・チャールズ、シンガー及び作曲家、スティービー・ワンダー。彼らの出身地は様々で、使用楽器や歌唱スタイルも異なりますが、皆、音楽の分野で輝かしい業績を残しています。

その業績に加えて、彼らには共通点があります。彼らは全員視覚障害者なのです。これらの音楽家は、音楽の世界に視覚障害は存在しないことを示しています。西洋のことわざに「ドアが閉まるとき、窓が開く」とあるように。

私は誕生時に網膜色素変性(全盲)と診断されました。その結果、この素晴らしい世界の美しい色彩を見ることはできなくなってしまいました。しかし私は幸運にも、北京盲学校で学んでいたとき、中国の楽器「二胡」に魅了されました。

一年生だった頃の、あの午後を、今でもはっきり覚えています。寮の廊下を歩いていたとき、地下から響いてくる二胡の調べに深く心を動かされたのです。自宅に戻った瞬間、両親に、二胡を習いたいと訴えました。両親は私の願いに理解を示し、数日も経たないうちに、二胡を買い与え、更に先生まで探してくれたのでした。

それ以来、私は毎日最低2~3時間、二胡の練習をしました。手の形、姿勢、弓使い、指使い、音階、練習曲など、最も基礎的な訓練から始めたのです。時は瞬く間に過ぎ去り、やがて私は、単に二胡の主な演奏技術を習得しただけでなく、世界的に有名な楽曲を数多くマスターしました。その後、盲学校の中国民族音楽隊のメンバーになり、学校や市立障害者連合を代表して、演奏しました。

より幼い頃は、他人と同じように世界を見ることができず、劣等感や孤独を感じましたが、多くの演奏会を経て、自信を取り戻し、音楽を他者と分かち合うことを愛する、明るく楽観的な人間へと変化しました。ステージに上がり、音楽が始まるたびに、ジャングルの中で新鮮な空気を吸い、音楽の豊かな栄養を吸収しているような気持ちになりました。メロディーにあふれ、明るく、軽快なテンポの曲もあれば、暗く、悲しく、緩やかなテンポの曲もありました。

私は自分の体がゆったりと揺れるのを感じ、曲のアップダウンやメロディーの喜び・悲しみに合わせて想いにふけりました。私がアレグロの部分を素早く情熱的に演奏すると、それに合わせて聴衆が、思わず手拍子で、生き生きとしたリズムを刻んでくれました。音楽と手拍子は、完璧に溶け合ったのです。それはあまりに自然で調和に満ちていたので、私の心はまるで火が付いたように、感情と思いで満たされました。このような励ましと、私が得た称賛によって、自分の音楽への夢を達成することができたと言わざるを得ません。

今年の夏、私は台湾海峡を挟んだ文化交流コンサート「Finding Footprints, Chasing Dreams(足跡を見つけ、夢を追いかける)」に参加しました。京劇の挿入曲「A Free Hand of the Grand Mansion Gate - Morning Moon Over Lugou」のソロパートの演奏者に選ばれたのでした。カーテンが下りた時、聴衆は私の素晴らしい演奏を深く称え、大喝采を送ってくれました。私がただ一人の視覚障害者でありながら、演奏全体の中で重要な役割を与えられたことを、聴衆は気づいていたのです。視覚障害児とオーケストラ全体が、完璧に融合したのでした。聴衆の熱狂的な反応を通して、彼らが、音楽の世界における視覚障害者の能力とスキルを信じていることがわかりました。

「音楽は心の窓を開く」と言われます。実に、音楽は私の心を開き、いつの日か、プロの二胡演奏家になる日を夢見るようになりました。この中国の代表的な民族楽器を、大舞台で演奏し、私のような視覚障害児がさらに多く、二胡のとりこになってくれることを楽しみにしています。

意志あるところに道あり。音楽の世界には、道を究める妨げとなるような視覚障害は存在しないと、私は考えています。