オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

ヨーロッパ地域 最優秀オーツキ賞 「私の救い主」
ロシア  タマラ・アンドレーヴァ(88歳・女性)

1941年の5月の末、学校のパーティーで、私は、優秀な成績へのごほうびとして、プレゼントと一緒に点字盤と点筆をもらいました。点字盤には、「最も優秀な学生タマラ・アンドレ―ヴァへ。レニングラード盲学校、1941年」と書かれていました。これはとても貴重なプレゼントでした。もう、詩を書いたり、必要な情報を書き留めたりするのに、両親の手を借りる必要はありません。これがあれば、自分で書くことができるのです。私は本当に嬉しくなって、この点字盤を大切に扱い、夜には枕の下に敷いて寝ました。

夏になると、母と私は家を離れ、祖母が住む村で休暇を過ごしました。8月にその村はファシストに占領され、私たちは捕らわれの身になりました。村の住民と部隊から取り残された赤軍の兵士たちは、レジスタンス集団やゲリラ部隊を組織しました。母と祖母は、彼らに食物を与え、近隣の人たちと一緒に、ベッドシーツから迷彩服を作りました。迷彩服の染料は彼らが自分で作りました。しかし、裏切り者がいたのです。

1942年1月のある朝、敵の部隊が警官とともに村にやってきました。彼らは、私たちに身支度をするように命じましたが、私物を持っていくことを許しませんでした。母は点字盤を置いていくようにと言いましたが、私はそれに耳を貸さず、点字盤を抱えていました。
「タマラ、それは重いわよ!それにこの先何が起こるかわからないんだから!」

けれども、私は点字盤をさらに強く抱きかかえました。すると母は、ウールのスカーフで点字盤を私の胸にくくりつけて、その上にジャケットを数枚重ね、コートを着せました。私たちが家を出るとすぐ、家には火が放たれました。村のほとんどが燃えていました。まるでこの世の終わりでした。子どもたちは泣き、死んでいく動物たちはうなり声をあげていました…。
私たちは、突き飛ばされるようにして、そりに乗せられました。そりには既に近所の人たちが座っていました。そして、私たちはどこか知らないところに連れていかれました。ある村に着いたところで、そりが止まりました。誰かが亡くなっていたのです。同行していた衛兵は、私たちに注意を払っていませんでした。母は素早く私の腕をつかみ、近くの家に逃げ込みました。そこにはおびえた様子の女性がいました。彼女はヒステリックに叫びました。
「出て行って!あんたたちのせいで殺されたくはないわ!」
彼女は両手で私たちを突き、裏口まで追い詰めて、高いところにある納屋に続くポーチから外へ放り出しました。下は深い雪だまりになっていたので、私たちは雪に埋まって、恐怖と寒さと絶望に震えていました。暗い中で、時折手をたたく音が聞こえました。どうやら、脱走者が銃殺されたようでした。逃げる場所もありませんでしたが、とにかく出口を探す必要がありました。雪だまりから抜け出すと、すぐ近くに干し草のにおいのする小さな建物がありました。私たちはそこに隠れました。母は私を納屋の裏にもたれさせて、干し草をかぶせ、自分も他の場所で干し草をかぶって隠れました。火はやっとおさまり、静寂が全てを包みました。雪を踏む音がしました。二人の男が納屋に近づいてきました。私は息を殺しました。彼らは納屋のところまで来て、足を止めました。

突然、胸が乱暴に押されるのを感じました。そのあとでまた、今度はもっと強く押されました。背中にあった古い板が割れました。私は納屋と一緒に自分が飛んでいくのではないかと思いました。気を失ったかどうかは覚えていません。大きな声を出して、母を呼びたかったのですが、できませんでした。男たちは脱走者を探して、銃殺か首つりにしようとしていたのです。
男たちが雪を踏む音が遠ざかるのが聞こえました。静寂。私は母を呼んで返事がなかったらどうしようと、怖くて声が出せませんでした。母のささやく声が聞こえるまで、まるで永遠の時間が流れたかのように思えました。
「タマラ…」
「ママ!」私は小さな声で応えました。
私は生きていました。私の胸をめがけて突きたてられた銃剣(あれは間違いなく銃剣でした)は、点字盤にブロックされたのです。
「静かにしてね!怖がらないでね。ママと一緒だからね。ここを出る道はきっと見つかるわ。」母のささやき声が聞こえました。
私は泣き続け、「怖いよ…。見つかって、火で焼かれるよ!火のお化けにつかまる!熱いよ!」と繰り返しました。
私は「風と共に去りぬ」のスカーレットのように、何年もの間、この悪夢につきまとわれました。しかし、時がたつにつれて、それもなくなりました。

とても暗くて、寒いところでした。私たちは納屋を出て、助けを求めて歩きました。一軒の家の前を通りかかると、中から子どもの笑い声が聞こえたので、ドアをノックすることにしました。女の人がドアを開け、何も訊かずに、温かい室内に迎え入れてくれました。4人の子どもたちが、私たちを物珍しそうに見ていました。年長のイヴァンは12歳で、私と同い年でした。彼らが私の服を脱がせたところで、イヴァンが点字盤を見つけました。
「わあ、何これ?騎士のよろい?」彼は不思議そうに尋ねました。
母は、私のセーターやジャケット、そして、点字盤を胸にくくりつけていたスカーフにあいた2つの穴を調べていました。
「ううん、騎士のよろいじゃないよ。」私は答えました。
「これは点字盤といって、目の見えない人が字を書くのに使う道具なの。でも今日、これは私の命を救ってくれたの。」
彼は点字盤をじっと見ていたので、最後の言葉を聞き逃したようでした。
「冗談だろ!穴が開いた2枚の鉄の板で、片方の端にはいくつか点があるじゃないか。この上に何か書くことなんてできるの?」
「紙を一枚ちょうだい。それから何を書けばいいか言って。」
イヴァンは一瞬考えて、こう言いました。
「ぼくは、父さんに戦争からすぐに帰ってきて欲しい。」
彼は点を見ていましたが、まだ不思議そうでした。
「点を使ってどうやって書いたり読んだりするの?誰がこんなものを発明したの?」イヴァンは尋ねました。
「ルイ・ブライユよ。彼は3歳の時に尖ったもので目を傷つけてしまって、全盲になったの。だから、世界中の目の見えない人たちが読んだり書いたりするためのしくみを発明したのよ。彼は、パリで目の見えない人たちを教える仕事をしていたの。この道具は彼の名前をとって、ブライユ・スレート(点字盤)とスタイラス(点筆)と呼ばれているのよ。世界中の全ての目の見えない人たちが、彼のことを忘れず、感謝できるようにね。」
イヴァンは話をじっと聞いていましたが、こう尋ねました。
「その紙をくれないかな。とっておいて、友だちに見せるよ。そして、そのフランス人の話をしてやるんだ。」

私の救い主は、私がゲリラ隊の一員として森に潜伏していた時も、U-2機に乗って戦列に加わっていた時も、病院に数か月入院した時もずっと私と一緒で、何十年もの間、点字盤として仕えてくれました。今は、サンクトペテルブルクの点字博物館学校に保存されています。