オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

ジュニア・グループ 佳作 西アジア・中央アジア・中東地域 「個人の自立、社会統合、教育から見たレバノン社会の視覚障害者」
レバノン  ファテン・ジョウニ(24歳・女性)

 すべての人はその違いにかかわらず、生まれながらに平等です。しかし成長するにつれ、社会は人に、その社会独自のやり方で、違いとはおかしな間違ったことだと教えます。そして視覚障害など身体的に異なった人間は、異質だとみなされます。ですが、視覚障害者も社会の構成員です。他の人たちと対等に良い教育を受け、完全な自立と社会統合を享受する権利があります。しかしレバノンでは、視覚障害者は多くの問題を抱えており、そのせいで思うように自立できなかったり、教育上・社会上の権利を阻まれたりしています。そこで本稿では、レバノンにおける視覚障害者の自立、社会統合、そして教育の機会について論じます。

 教育は、5歳から18歳までの視覚障害のある子どもにとって、最も重要な政策分野のひとつです。この年齢の子どもたちは、同年齢の晴眼の子どもたちと同等に、良い教育を受けなくてはなりません。レバノン法220/2000の第7部(第59条から第67条、教育とスポーツに対する権利)によれば、国は視覚障害のある子どもに、統合的な教育サービスを提供する責任があります。言い換えれば、公立の教育機関は視覚障害者に門戸を開かなければなりません。また試験も障害の種類に対応して行われる必要があります。この法律の教育に関わるほぼすべての条項は、公布後19年経った今も実行されていません。この点で、公立校では受け入れがゼロである一方、ほんの限られた数ですが、私立校が視覚障害者を受け入れるようになったことは注目に値するでしょう。学校長も教員も、視覚障害のある児童生徒と接し、その統合をモニターするための訓練やリソースを与えられていません。法律220号が公立校に対して視覚障害の子どもの受け入れを命じているにもかかわらず、多くの学校がいまだに受け入れを拒んでいます。そのため、障害者カード保有者のほぼ半数が学校教育を受けていません。その大半が特殊学校や施設に入るほか、自宅で過ごす人もいます。

 技術教育や職業訓練については、ほとんどの公立職業訓練機関が視覚障害のある生徒を受け入れていません。NGOや私立の機関の中には、教育省あるいは社会問題省の予算を受けて、訓練を行っているところがあります。

 高等教育に関して言えば、レバノン大学の古い校舎はアクセス不可能です。視覚障害のある学生のニーズへの対応はまったくありません。

 一方、私立の大学もほとんどはアクセス不可ですが、例外はバラマンド大学、レバノン・アメリカン大学、そしてベイルート・アメリカン大学で、これらの学校では、社会科学系など一部の学部に視覚障害の学生のための設備があります。

 視覚障害者の抱える問題は、良質な包摂的教育を受けるのが難しいことだけではありません。社会による見下し、あわれみ、過小評価にも苦しんでいます。他の分野では前進が見られるものの、社会による認識については、はっきりとわかる改善は見られません。視覚障害者は異質の生き物、家族や社会の重荷、無能力な人間とみなされています。視覚障害のある子どもが生まれると、親へのなぐさめが始まります。視覚障害の子どもは神からの贈り物だと考える人もいれば、「両親に神のご加護を」、「神よ、両親に忍耐を与えたまえ」と言う人もいます。こうしたことが起こるのは、視覚障害者の社会統合に関する認識と政策が欠如しているせいです。そのために大半の視覚障害者は、自分を取り巻く状況に立ち向かう勇気がなく、自らのコミュニティに適応するのに多くの問題に直面します。社会的不名誉は何百年も続いています。偏見は抜きがたく、凝り固まった判断は現実に勝ります。実際、視覚障害を理由に、才能を過小評価されたり能力を低く見られたりと、劣った者として扱われてしまうのです。

 こうして、社会のあわれみと見下しのせいで、視覚障害者が自立を全うしようとすると、いくつもの問題にぶつかります。親の中には、視覚障害のある子どもが家の中や外をひとりで動きまわるのを禁じたり、身の回りのことや家事をやらせなかったりする親もいます。

とは言え、視覚障害者が通勤や通学で交通機関を利用するには、多くの困難が伴います。田舎に住んでいる場合は特にそうで、結局、目的地へ行くためには常に親やきょうだいの助けを借りなくてはなりません。また、レバノンの視覚障害者のほとんどは、ひとりで移動するために白杖を使うことはありません。道路の設計も建物の設備も、視覚障害者のために充分整備されていないからです。

 一方で、かなりの数の視覚障害者が一人暮らしや結婚をしていることも述べておくべきでしょう。つまり彼らは身の回りのことや家事をこなし、さらに通勤も自力でできるということです。

 まとめますと、以上に述べたような問題からわかるように、レバノン社会は包摂的でなく、視覚障害者の権利も尊重されていません。視覚障害者には、生産力を有し完全に自立するために必要な、包摂的で質の高い教育も社会的サポートもありません。そこで頭に浮かぶ疑問はこれです。  障害者の権利を守る法律220/2000が完全に実行される日は来るのだろうか?