オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

サポートの部 優秀賞 国内部門 「もう一度、プロポーズ」
東京都  小松崎 潤(35歳・男性)

「もう別れてもいいわよ」
そう言うのは妻である。妻は一昨年、糖尿病の合併症から両目を失明した。もっと早く病院に行っていれば、きっと・・・。今でもその思いは変わらない。

 妻は大好きだった仕事も退職を余儀なくされ、生きる意味を見いだせなくなっていた。自暴自棄になり、自傷行為が始まり、家出も繰り返した。一瞬にして未来までも暗くなってしまった僕ら。だけど僕はその中でも何とか光を探していた。

 そんな時、主治医から運動療法を勧められた。気分転換にもなるしいいだろうと僕は思った。もともと妻は学生時代、陸上部に所属し、走力には長けている。「いつかホノルルマラソンに出たい」それが妻の夢だった。だけどひとつ問題があった。妻は視力を失ってから走ったことがない。当然、一人では走れないので僕がエスコートするしかない。でも、どうやって。みんなはどうしているのだろう。ふと気になってネットで調べてみた。すると視覚障害者マラソンというものが毎年立川で行われ、その練習会があると知った。僕は、これだと思い、早速、妻を連れて練習会に参加した。最初に渡されたのは「きずな」と呼ばれる短いロープだった。このロープを持ちながら走るというからまさに二人三脚である。しかし、いざ走ろうと僕が引っ張ると「怖い、怖い」と妻は大きな声をあげた。 「怖い?ロープを持っていれば大丈夫だから」
 僕はなだめた。しかし、妻はその場にしゃがみこんでしまう。すると見かねたスタッフがアイマスクを取り出し、僕に手渡した。
「まあ、まあ、ご主人。ちょっとこれでまずは私と走ってみましょう」
 内心、「なぜ僕が」と思ったが、言われるがまま、僕はアイマスクをつけた。
「じゃあ行きますよ」
そして走り出したその時だった。
「こ、こわいっ」
 身体で震え、心で泣きそうになるのを感じた。こんなに見えない世界が闇に包まれているなんて思いもしなかった。平坦なコンクリートでさえ、ゴツゴツした砂利道のように感じ、遠くのクラクションでさえ、目の前に車がいるようだ。トラックか。ダンプカーか。いや、スポーツカーか。しかしその音だけでは判断できない。さらにいつ飛び出してくるか分からず、不安と恐怖で押し潰されそうになった。僕は進めば進むほど見えない世界の恐怖がどんどん見えてきた。

「もういいですよ」
そう言われてアイマスクを外すと、不安という心のモヤを取るように視界が広がった。彼女は常にこの恐怖と不安と孤独と闘っている。何てことだ。僕は目の見えない妻に思いを馳せた。そのあと僕らは約2時間にわたってあらゆる路面状況を想定して走った。ゆっくりと右に左に曲がったり、上り坂に下り坂。路面のよい場所に悪い場所も走った。初めは怖がっていた妻も、徐々に本来の走りができるまでになった。僕の方こそ遅れをとらないか心配になるくらいだった。

 それから立川マラソンまで僕らは練習を重ねた。たまには転倒することもあった。ぶつかり合うこともあった。もうやめようと話すこともあった。止まる、進む、戻る。僕らの足も、思いも、そんな感じ。だけどいつだって隣にいられる。進むも転ぶも一緒。転んだ痛みも、風を切る喜びも共に味わい、分かち合う。
「痛かったね」<.br> 「気持ちがいいね」
 そんな会話をするうちに、僕は妻がもっともっと好きになっていった。「きずな」をしっかり握る真っ白い手。汗っかきの僕の額を拭いてくれるやわらかい手。飲みかけのお茶をくれるあったかい手。どれも僕の愛おしい手がそこにあった。視力を失ってから「ありがとう、ごめんね」と申し訳なさそうにしていた妻。しかし「ありがとう」と言わなければならないのは僕の方だった。だって妻がいるから、いまの僕がある。そしていまの幸せがある。妻を助けながら、自分も助けられている。夫婦とは互いに伴走者なのかもしれない。

マラソン大会は無事に完走を果たすことができた。このレースが新しい夫婦のコースを作ってくれた。レース後、僕は妻に二度めのプロポーズをした。恥ずかしくてもう口には出したくないが、 「これからはあなたの目になります。僕と一緒にこれからの人生を走ってください」 と言った。妻は両手で顔を隠した。その下に涙が光っていた