オンキヨー世界点字作文コンクール ONKYO WORLD BRALLE ESSAY CONTEST

優秀賞 国内部門 成人の部 「さくら咲く」
鳥取県立鳥取盲学校 専攻科理療科2年  竹内 明美(54歳・女性)

「今年もさくらは満開ですよ!」
 でも、私はそんな春がだんだん嫌いになっていました。というのも、視覚障害が進むにつれ、広がってくる視野狭窄、暗点やまぶしさ。徐々にゆがんでいく景色の中に咲く桜の花は、私にとってはただごちゃごちゃした映像で、決して満開には咲かないつぼみのままだったからです。

 そんな私の心を変えてくれた人たちがいます。私は盲学校入学を機に、以前から目標にしていた単独歩行デビューをしました。デビュー当日の朝、「いってらっしゃい」と、ターミナルの駐車場から見送ってくれたはずの母。ところがまだ私の後ろを歩いています。
「ここでもう大丈夫だから」
「でもほら人とぶつかりそうだし」
「気をつけて歩くから大丈夫。もうここでいいから」
「でもやっぱり危ないから」
といった具合で、いくつになっても娘を心配してくれる母の手を振り切って、人が行き交う中、盲学校行きのバス乗り場に向かいました。

 これまで歩行訓練で学校やライトハウスの先生方にしっかり指導していただいていたので、バス停までの移動には自信もついていましたし、何よりデビューの日です。気持ちよく見送ってくれる約束だったのに、こんなスタートになるなんて。一気に曇ってしまった気持ちのせいなのか、白杖でたどる点字ブロックまでもが鉄のように硬く感じられました。壁伝いに道を抜けたら警告ブロックがあります。そこで方向を変えてそのまま直進すると、少し柱が左側から出っ張っています。ぶつからないように注意して次の警告ブロックでバス停到着です。短距離ですが無事一人で歩けました。母が見送ってくれている方向に向かって手を振りながら、歩けたという達成感と、いつまで心配かけているんだろうというはがゆさで複雑なスタートとなりましたが、バスに乗ってしまえば、同じ学校に向かう仲間や先生方と一緒なので安心して登校できました。

 ところが、本当の意味でのスタートはむしろ帰り道の方でした。乗り継ぎのバス停に歩く今朝とほぼ同じ道なのに、なぜか今までとは違うのです。これまで感じたことのない、ものすごい孤独感の中、息をこらし、耳をすまして点字ブロックからずれないようにと白杖でたどる手には力が入ってきます。おまけに朝はぶつからないように注意できていた柱に左肩をぶつけてしまいました。思わずため息がこぼれます。ぶつかった痛み以上に、注意できなかったことがショックでした。なぜこんなにも感覚が違ってしまうのだろう。今朝、もういいからと振り切った母の手。でも、実は、母はそのあともずっと見守ってくれていたから、私はしっかり歩けたのだと、その時になって見守ってくれる人の力の大きさに気付かされました。でも、踏み出した以上これからはこの孤独感とも付き合っていかなくちゃ。頑張れる!という気持ちの反面沈みがちな心のはざまにいました。

 ところが、何かが少しずつ変化しはじめていました。ある日のことです。まるで、霧の中のような雑踏から温かい声が聞こえてきます。
「そうそう、おうてる。そっちやそっちや」
大阪弁天町行きの高速バスに乗ろうとしていた明るい関西弁の男性の声です。突然の声かけには少しびっくりしましたが、その声からは、案内してあげたい。何とかしてあげたい。そんな温かさが伝わってくるのです。
「ありがとうございます」
思わず顔がほころびます。白杖を持つ手も軽やかに、点字ブロックまでもがリズミカルに音を伝えてくれます。

 その日から、孤独だと思っていた私の通学路は、とてもにぎやかになりました。
「ご案内しますよ」
「もう少し右ですよ」
片言の日本語で、「こっちこっち」

 単独歩行を始めてから、親切に声かけしてくださる人の多さにびっくりしました。そしてもう一つのうれしい変化です。最初は点字ブロックの上や、近くに立っている人にぶつかることがありましたが、今はすぐに道を開けてくださいます。

 行列が移動してくれる時は、まるで物語の場面がさーっと変わったみたいに、目の前にまっすぐの道が現れます。それはすてきなコミュニケーションの道。心の通い合う希望の道。全ての物や形、人の表情やしぐさがはっきりとは見えない世界を生きている私。でも、伝わってきます。そうです、見えてくるのです。はじめはただただ探しながら歩いていた点字ブロック。だから一人で歩けるようになったとしても楽しく歩けてはいませんでした。でも親切な声かけや、温かい見守りをたくさんの方々にいただいているから、私は今、力強く歩けています。歩きながら季節を楽しめるようにもなりました。

 今年も、あの桜の春がやってきました。温かい心が変化させてくれた景色。それは目には見えない、でも、はっきりと見える大切なもの。
 今、私の心にさくらは満開です。